みみの無趣味な故に・・・

読書感想、本にまつわるアレコレ話。時々映画、絵画鑑賞の感想も書いてます。

『自己責任論の嘘』 宇都宮 健児

 

自己責任論の嘘 (ベスト新書)

自己責任論の嘘 (ベスト新書)

 

おすすめ ★★★☆☆

【内容紹介】

生活保護費が削減され、逆進性の高い消費税を増税、ブラック企業が跋扈して、安定した雇用が失われる。「自己責任」という言葉を突きつけられ、徹底的に痛めつけられる弱者。中間層は崩壊し、貧困と格差が広がっていく。それが安倍政権のいう、取り戻す日本の正体である。では、なぜそんな政府を多くの人が支持しているのか。そこにわれわれが陥っている罠がある。本書ではその詐術を暴き、自己責任論の呪縛を解き放つための方策を論じていく。

【感想】

宮部みゆきさんの『火車』(『火車』 宮部 みゆき - みみの無趣味な故に・・・)の弁護士モデルの宇都宮さんです(←宮部みゆき作品のベストです)

「自己責任」という言葉は2004年イラクで市民活動家やジャーナリストが武力勢力に拘束された人質事件により作られた言葉。言葉の歴史は浅いが、「自己責任論」は昔から根強く、根深くあり、この呪縛から逃れるにはどうすればよいのか?

 

著者は多重債務者の救済弁護士。「クレサラ問題」に取り組み、「借主責任論」という人間心理の実体に迫る。

「クレサラ問題」とは?1970年代末頃のクレジット会社とサラ金は高金利で貸付、返済不能者への過酷な取立てを強いる。取立被害者にも関わらず、借主の責任という論理(メディアの批判)に支配され、借主の精神、命まで落とす悲劇が繰り返される(2012年以降、自殺者年間3万人)。。借入理由の割合の多くは生活苦、病気、失業、事業資金などで遊興目的はわずか数%にすぎないにも関わらず、メディア、政治は遊興目的を世間に植え付け、「借主責任論」に拍車がかかる。借主の努力では解決できない理由ではあるが、自責の念に囚われていく。。そこで「クレサラ被害者の会」を立ち上げ、同じ境遇の人々と共有し、客観視する事で、被害の実態、生活の立て直し、借主責任論の呪縛から解かれていき、2006年12月に改正貸金業法が成立し、グレーゾーン金利の撤廃、上限金利規制の強化、年収の1/3を超える貸付禁止が施行された。。法を変える力、すごい‼︎

著者は2007年に反貧困ネットワークの代表となり、生活困窮者の相談役を務める。生活困窮者はクレサラ被害者と同様に「貧困に陥るのは自分の責任」と自責の念に苦しむ「自己責任論」がなぜ起きるのか?日本の教育による競争原理の植え付け。高学歴によるヒエラルキー上位志向。「成功者」が社会的強者に。格差社会が貧困の広がりを生み社会的弱者の自己責任意識が強まる。(劣等感と自虐、社会への諦め、失望も含まれるのではないかとも思うのだけど...。)

「貧困も格差も自己責任」となれば、国や自治体が手を差し伸べる必要がないという理屈。成功者たちの居心地の良い社会が作られていくことは自然の流れなのかもしれない。。

中盤から都知事選の出馬を何度も経験し、メディアに対して強い憤りと憲法と人権について(自民党に対する批判も)綴られていました。有権者へ政策を伝える情熱や能力が失われていること。メディアの影響は大きいので、社会福祉、社会保障、子育て、雇用、教育、医療、経済、労働、環境問題など幅広く細分化して取り上げてほしいなぁ。できればわかりやすく。。

 

後半は「自己責任論の嘘を暴く」

生活困窮者の生活保護について、あるタレントの親が生活保護を受けていた事にマスコミが追及した出来事(母親は決して不正受給ではないが、息子が高収入を得ていたことにより、バッシングを受けた。後に福祉事務所と協議の上、仕送り額を決め、要請に応じ増額として解決)。。その事がきっかけで、不正受給だけではなく、正規の受給者まで非難されることに。。メディアと国民の集団攻撃はほんとに怖い。。「改正生活保護法の公助より自助の精神を高める」。。「生活保護制度は生活困窮者が頼れる最後の命綱」。。この制度を利用せず、孤独死、餓死者と最悪な結果になってしまう人々(子供を含む)が多いようです。知識があっても保護申請を受け付けてもらえないケースも。。保護支給をされても職員の就労指導に精神的に追い詰められ、自ら保護を辞退するケースも。。「腹減った..何もかもなくなりました。自分の責任です」という言葉が残され餓死。。労働における貧困や貧困ビジネス。非正規雇用者や派遣労働者の解雇、雇い止め。。苦しい思いであっても具体的な解決法がわからず、我慢をしていかなければならない現状。。現実社会の片隅で起こる悲劇がやるせない。

いつ生活困窮者に陥るかわからない時代。誰もが知識は必要だと思う。この本を読んで、多重債務者の心理は勉強になりました。著者のメディア、政治に対しての憤り、批判は一つの意見として、冷静に捉えたい。「自己責任論」より「都知事選」についてを重きに置いてます。タイトルへの期待感はあまりない気がしますが、社会の支配的思考に追い込まれる「自己責任の呪縛」はとても恐ろしく、救いの手が少ない現状にモヤモヤしてしまいます。